2011年08月03日掲載 【放射能と虫】

公園を散歩していて、やけに静かだと感じました。セミも鳴いていませんし、蚊もよってこない。セットの中を歩いているかのような感覚になりました。全体的に生命の感じが薄いというか・・むっとするような、土の香り虫たちが・・見当たらない感じです。

人体にただちに影響はないといわれる放射性物質ですが微生物や細菌が土壌で死滅しているということは考えられますか?また、土壌中の細菌や微生物の死滅により、それを食料にしている虫たちが激減しているということはありますか?

回答者が北海道を転々としていて、返事が遅れました。申し訳ありません。北海道ではエゾゼミが元気に鳴いていました。質問された方のあたりでも、いまはセミしぐれのまっ最中という気もしますが、どうやら長期戦になりそうな放射線漏れに関する話題ですので、遅ればせながら回答します。

もちろん、すべての昆虫種について放射線量が生存率に及ぼす影響を調べられているわけではないので、これはあくまで一般論ですが、ヒトに比べて昆虫は放射線にむちゃくちゃ強いです。沖縄県で不妊虫放飼が実施されているイモゾウムシの場合、体細胞の分裂が盛んなサナギの時期に80グレイのガンマ線を照射してようやく「不妊」になる程度です。これは人間なら即死線量です。 グレイ(Gy=J/kg)はSI単位系で、物質が受ける放射線の吸収量を示します。ただ、被爆など、生体がうける放射線の影響は放射線の種類によって異なるため、これに加重計数をかけたものがシーベルト(Sv)という、最近なじみになってきた単位です。X線やガンマ線、ベータ線は加重計数が1ですから、1グレイ=1シーベルトということになります。「ミリ」は千分の1、「マイクロ」は100万分の1を示す接頭語ですから、80グレイ=8万ミリシーベルトです。ちなみに、ヒトは2,000ミリシーベルトで5%が、4,000ミリシーベルトで50%が、7,000ミリシーベルトで99%が死亡するとされています。

南西諸島で根絶されたウリミバエも、羽化2日前の蛹に70グレイを照射することで、成虫の羽化率や寿命、性的競争力、飛翔能力にはほとんど影響なく、不妊化できます。

「不妊虫放飼法」とは、見かけは元気だけど実際には不妊の雄成虫を大量増殖して、どんどん放飼すると、野外の雌成虫が正常な雄と交尾して正常な精子をもらうことより、不妊雄の精子をもらうことが多くなって、産卵しても卵がだんだんふ化しなくなります。不妊虫をくり返し放飼していけば野外の健全な個体数がどんどん減って、たまに正常な雌が生まれてもまわりは不妊の雄だらけ、健全卵を産めず、絶滅していく・・・という防除法です。

不妊虫放飼法にはいくつかの制約があり、たとえば大金をかけ、地域のコンセンサスを得てまでも根絶しなければならないほどの大害虫なのか、ということもその一つですが、正常に野外雌と交尾できるけれども(野外の雄とくらべて負けないほどの交尾能力はあるけれども)、精子は不妊になるという害虫側の条件も必要になります。ウリミバエの場合、成虫の半分が死ぬ照射線量は700グレイ(70万ミリシーベルト)です。99%が死ぬ線量はさらにこの数~数十倍になります。この不妊化線量と致死線量の幅が広いと「元気な不妊雄」がつくりやすく、根絶が容易になります。イモゾウムシの場合は、この幅がやや狭く、すこし面倒なのです。

さて、セミ類に対する放射線の影響について調べてみましたが、見つかりませんでした。ただ、セミに比較的近縁なトビイロウンカについては、当学会の欧文誌に持田作(1973)氏の報告があります(Appl. Entomol. Zool. 8(2): 113-127)。これによると5齢幼虫に150~200グレイのガンマ線を照射すると羽化した雌の卵形成が阻害されるようです。この値や、カイガラムシに関する外国文献を見るかぎり(ナシマルカイガラムシに対する不妊虫放飼が研究されています)、ウンカやセミといったカメムシ目同翅類の昆虫たちも放射線には強いようです。

なぜセミ類に対する放射線の影響を調べた研究がないかといえば、基礎研究はさておき、害虫管理としての不妊虫放飼がほぼ不可能だからです。セミは樹木の害虫ですが、大量枯死させるほどではありません。分布域も広く、不妊虫を放飼しようとしたら莫大な数を増殖しなければなりません。もし、放飼できたとしても不妊雄の鳴き声のうるささたるや、想像を絶するものになるでしょう(放飼個体が悪さをしない、ということも不妊虫放飼法の制約条件の一つです)。

また、基礎研究として放射線の影響を調べるにしても、そうした調査をするには発育段階のそろった幼虫をある程度集めなければなりません。地中にいるセミの幼虫を100頭単位で集めるのはなかなか難しく、研究上の費用対効果はかなり悪いと思われます(ひょっとしたら、周期的に大発生する合衆国の13年ゼミや17年ゼミならある程度簡単に調べられるのかもしれませんが)。

結局、推論しかできないわけですが、東京電力福島第一原発の敷地内でも(報道どおりに核種の放出がかなり抑えられたのだとすれば)多くの虫たちはこれまでと変わらず、元気に生活できているのではないでしょうか。ごくごく小さな生物で、生存上大事な器官に放射線がまとまって直撃した場合はこのかぎりではないでしょうが、そういう確率は大型生物のヒトにくらべるとはるかに低いですし、微小生物は個体数も多いことがほとんどで、全体から見ると「ヒトより影響がずっと小さい」ことと思います。

じつは回答者が懸念しているのは、放射線が昆虫類に及ぼす影響より、むしろ被災地域の人間活動の変化にともなう昆虫類の発生動向の変化です。住民が避難している地域では当然、害虫防除など行われていませんし、津波の被災地域では汚泥と混じった瓦礫の山でハエ類が多発しています。一部報道では体長2センチのハエが大量発生とありましたが、そんなに大きなハエがいるのなら(ウシアブならそのくらいの大きさがありますが)、ゴジラやラドンが出現するほどの放射能漏れがあったのかもしれず、ぜひ採集してみたいものです。冗談はさておき、震災の二次災害にともなう昆虫類の発生動向の変化を、風評被害をおさえる意味からも、客観的に検証していく必要はあるのではないでしょうか。

話がセミに戻りますが、セミ類は幼虫期の数年間を地中で過ごします。その年数は種によって異なりますが、同じ種でも変動するようです(たとえば、ツクツクボウシの幼虫期間は1~2年、アブラゼミの幼虫期間は2~5年です)。もし今年のセミの発生が少ないのなら、親ゼミが鳥などにたくさん食べられたりして、数年前の産卵数が少なかったのかもしれません。また、昨年は猛暑でしたから、今年羽化するべき個体が去年出てしまったのかもしれません。セミの発生量にその年の降水量が大きく関与することも知られています(7月中旬~8月中旬に雨が多い年にはニイニイゼミの発生量が少なくなります)。セミの発生量は抜け殻でわかりますから、市民ボランティアが「セミの抜け殻しらべ」を毎年継続して実施している地域なら、セミの多い少ないもかなり客観的に評価できると思います。

回答者: 榊原充隆 (東北農研)

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