応動昆、持続可能な社会を目指して: 一般社団法人 日本応用動物昆虫学会

【書評】 クマゼミから温暖化を考える 沼田英治著(2016)岩波ジュニア新書:岩波書店、208頁、820円(税別)(ISBN 978-4-00-500833-9 C0245)

(2016年9月 3日公開)

 現在、大阪など西日本の都市でクマゼミが著しく増え、分布域も東へ北へと拡大している。

 都会育ちの私にとっては、幼いころからの馴染みの昆虫と言えば、ハエやゴキブリなどの屋内昆虫、屋外では神社の境内樹木にいるセミや池のトンボ、舗装道路の面を這うようにして飛ぶギンヤンマなどである。本書に出てくる生玉や高津神社(本書ではそれぞれ公園となっている)は、1945年3月の米軍による大阪大空襲で住居が全焼するまで住んでいた地域の氏神神社である。また75年以上前のことだが、境内で蝉取りをしていると神主さんに追い出されたものである。その頃の大阪は本書でも述べられているようにアブラゼミの王国であった。クマゼミはその鳴き声から「ジャンジャン」と呼ばれ、長い笹竹の先端部に鳥もちを塗った竿が採集道具で、僕のような不器用なものには高い枝にいるこのセミを取るのは至難の業であった。その憧れのクマゼミが今では、大阪ではアブラゼミに代わって最も普通のセミだというのだから昔を知る者には本当に驚きである。しかも子供でも簡単に取れる低いところに止まるそうだ。昔はアブラゼミに押されて高所に追いやられていたのだろうか。この現象は西日本の都市で1980年ごろから進行しだしたそうだ。ある地域の普通の虫の優占種がかくも劇的にかわるのは、そのメカニズムをさておいても注目に値する。

 温室ガスの蓄積のため、過去100
年間(1906~2005)に世界の平均気温が長期的に0.74(0.56~0.92)℃上昇し、今世紀末までにさらに1.8~4.0℃(低い確率では6.4℃)上昇すると予測されている。温暖化は、温帯圏の昆虫にとっては、越冬生存率の増加、繁殖開始時期の早期化、繁殖期間の延長、分布域の拡大など有利に作用することが多い。ミナミアオカメムシように熱帯・亜熱帯起源と考えられる種でも、温暖化が顕在化していなかった1960年代でも夏期の世代ではすでに高温障害を起こしていた。近縁のアオクサカメムシは繁殖せずに夏眠で夏をやり過ごしている。その代り世代数を減らすという大きな犠牲を払っている.

 温暖化の昆虫への影響といっても、我々が思い浮かべる昆虫は生活環の完了に要する期間が、長くて1年、害虫などは年に数世代を経過する。ところがセミとなると数年から10数年に及ぶので桁がちがってくる。上にあげたような温暖化の有利点がそのまま単純に当てはまるはずがない。

 本書の構成は目次から見ると、はじめに、第1章:近年にみるセミの変化、2章:クマゼミが引き起こした問題とは、3章:今、起こっている温暖化とは、4章:温暖化をめぐって、5章:温暖化と昆虫の変化、すなわち1~5章では、本書が対象にしているジュニアの人たちにも理解できるように、地球温暖化を取り巻く社会や世論の動き、温暖化が昆虫に及ぼす影響、特に分布域の北上などをナガサキアゲハやミナミアオカメムシの例を挙げて非常に平易に解説されている。第6章から11章までは、本書の主題であるセミと温暖化の問題を扱っている。すなわち、6章:セミの研究を始めた動機、7章:冬の寒さとクマゼミの増加の関係、8章:夏の乾燥とクマゼミの増加の関係、9章:土の硬さの影響、10章:梅雨に孵化するために、11章:クマゼミから見えてきた温暖化、もっと勉強したい人のために、あとがきとなっている。

 6章では、なぜ大阪にこんなにクマゼミが多いのか。幼虫が地中で生活するセミが、なぜ卵を直接土の中に産まないのか。などの疑問が著者を研究に駆り立てた。同時に大学院生だった森山実氏が共同研究者として加わった。枯れ枝に産みこまれた卵は、枯れ枝とともに冬を越し、翌年の梅雨のころに孵化した一齢幼虫が土に潜るのである。温暖化で冬の気温が上昇し卵の生存率が上昇したという仮説の検証は、卵の半数致死温度はマイナス23℃で否定された(7章)。8~10章は著者らの独壇場である。生理学者は仮説を立てたら、必ず実験で裏を取るというオーソドックスな研究手法を存分に見せてくれる。SF小説のさわりを読む疑似体験ができる。最近しばしば検察による冤罪事件を目にするが、本書は昆虫と関係のない、これらの関係者にも是非読んで、その手法を学んでほしいと思った。したがって、ここでは詳しく説明しない。本書を直接手に取って欲しいからである。以下の結論に達するための著者たちの研究の歩みこそが本書の「さわり」だからである。

 著者たちの結論をまとめると、クマゼミの卵は休眠状態で越冬し、一齢幼虫に発育、孵化するまでに時間を要するため、かつての大阪の条件では梅雨の時期に孵化できるものが少なく、年によっては孵化時期には梅雨が終わって雨が降らず孵化できなかったり、孵化しても土の表面が硬く潜れなかったりして高い死亡率にさらされていた。ところが温暖化によって休眠が終わってからの発育が促進され、うまく梅雨の時期に孵化するようになり一齢幼虫の生存率が飛躍的に高まったことが、クマゼミの優占化をもたらしたという。昆虫は変温動物で温暖化がそのすべての発育ステージに影響を与えているということではなく、春の温度上昇が休眠終了後の一齢幼虫の発育促進をもたらし、その結果、梅雨との同期化がもたらされ、その優占化に貢献したのである。

 最後に著者から読者へのメッセージを伝えよう。科学者は、ある問題について質問されたら、それに答えるには科学的な根拠に基づくことが必要だということ。またジュニアの読者には、他の人たちの意見をうのみにせず、科学的に正しいことはなんだろうと常に疑問を持つ姿勢で臨んで欲しい。(桐谷圭治)