応動昆、持続可能な社会を目指して: 一般社団法人 日本応用動物昆虫学会

鱗翅類学入門: 飼育・解剖・DNA研究のテクニック

(2016年12月23日公開)

基本情報

書誌名:
鱗翅類学入門: 飼育・解剖・DNA研究のテクニック
著者・編者:
那須義次・広渡俊哉・吉安 裕 編著
出版日:
2016年8月9日
出版社:
東海大学出版部
総ページ数:
295
ISBN:
978-4-486-02111-7
定価:
4,800円 (税別)

なにをするにもコツがある.限られた人々にのみ知られ,受け継がれるならば,そのコツは秘伝となる.調理はさ(・)し(・)す(・)せ(・)そ(・) やお袋の味に代表されるように,コツや秘伝に満ちており,豊富な食材と多様な料理とあいまって,関連本は書店の棚の一角を占める.

私が勤務する大学の書店でも,女子大ということもあり,新学期が始まる4月には一人暮らしになる学生向けに,料理関連本が山と積まれる.

応動昆会員にあっても,研究にともなう様々な作業はコツと秘伝に満ちているのではないだろうか.昆虫の採集や標本の作成はその最たるもののように私には思われる.灯火採集での明かりの種類や幕の張り方,枠や支柱の材質と組み方は個人によってまちまちであり,中には思わず唸ってしまうほどよく練られたものもある.交尾器(genitalia)のプレパラート標本の作製ともなると,出身研究室の流儀が色濃く表れ,それは秘伝と言ってもよいだろう.報告書や論文に記載される採集法や標本作成法は極めて簡潔であり,そこからコツや秘伝を読み取ることは不可能である.

そこで本書の登場となる.本書は,チョウやガを研究する際に必要となる採集や飼育,解剖,標本作製,さらには塩基配列情報の解析,標本データの管理などに関する技法を執筆者自身の実践と経験に基づき,豊富な写真や線画をもちいて丁寧に解説した手引き書であり,コツと秘伝が満載である.なかでも,交尾器や翅,幼虫のプレパラート標本の作製手順は微に入り細に入り示され,自作の小道具の紹介もあり,自己流で不都合なく通してきた読者にも参考になる点が必ずやあるはずである.自作という点では,ホームセンタ-や雑貨屋で売っている品で安価に作れる高枝用カッター付き捕虫網と吹き流し式円筒形飼育ケージはスグレモノである.対照的に,交尾器の鱗粉除去用に,シギ類の翼角部にある小さな羽毛(1個体から2本程度しか採れないらしい)で作った筆はマニアックすぎるが,他の材料で代用して試作を繰り返してみる価値はありそうだ.

こう書いてくると,本書は技術と道具の解説書と受け取れかねない.もちろんそれは一面的見方である.そもそも,苦労して昆虫を採集し,手間と時間をかけてきれいな標本を作るのは,一義的には詳細に形態を観察するためである.したがって,本書は形態観察の解説にも力点を置いており,そのこともここで強調しなくてはならない.圧巻なのは成虫腹部の内部形態の観察と解剖を記した項である.腹部の内部形態を描いた図は洋書を含む幾多の本で見慣れているが,本書のそれは他を圧倒する.また,本邦ではこれまでほとんど解説されていなかった交尾器に係わる筋肉系についても図にもとづいて詳しく描述されている.執筆者の思いがひしひしと伝わる貴重な一節である.

本書を通読して思うことは,私がこれまで培ってきた技法にもまだまだ改良・改善の余地がある,ということである.これは,料理本を開くたびに思うことでもある.料理本とちがって,鱗翅類の観察技法をここまで詳しく解説した類書は欧米にもなく,自己流の限界を思い知らされた.

本書には執筆者が普段採用している手法であっても,ごく限られた人達でしか知られておらず,他の昆虫にも適用できそうななにげない工夫や注意点が随所に記されている.また,ここでは詳しく触れないが,「塩基配列の情報を用いた研究」,「成果と利用の公表」,「標本の保存と利用」の章では,昆虫全般に活用できる裏技的情報がちりばめられている.

このように,本書は手引き書とは言え,通読して損はない一冊だと思う.と同時に,私が勤務する女子大の書店に本書が入荷することは決してないだろうけれど,どこかの書店で,山と積まれた料理関連本を横目で通り過ぎ,本書を手に取る女子学生を目にしたいと,切に思う.そして一人でも多くの虫愛づる姫君の誕生を望みたい.

佐藤 宏明 (奈良女子大学)