応動昆、持続可能な社会を目指して: 一般社団法人 日本応用動物昆虫学会

新刊紹介「生態学者・伊藤嘉昭伝 もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ」

(2018年1月22日公開)

基本情報

書誌名:
生態学者・伊藤嘉昭伝 もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ
著者・編者:
辻 和希
出版日:
2017年3月15日
出版社:
海游舎
総ページ数:
421
ISBN:
978-4-905930-10-5
定価:
4,968円 (税込)

本書は日本の昆虫学、生態学の研究者として最も著名な一人である伊藤嘉昭博士に関する本である。最初にお断りしておきたいが、評者は分子生物学が専門である。また、本書籍は研究者を中心に様々な方々が記述されているため内容が極めて濃厚かつ、膨大である。本書を見ながら注意をして本書評を書いているが、限られた紙面でかつ、少々専門が違う評者が記述する故、本書を読まれたときに書評で間違った記述なされているということなどがあるかもしれないがそれは評者の責任である。最初にお許しいただきたい。さて、伊藤博士は私の出身研究室である名古屋大学農学部の害虫学研究室で教官をされておられた。直にじっくりお話しさせていただく機会はなかったが(私が学生時代に論文を探しに大学にお越しになられていた時に、私に図書室にコピーを依頼されたことはある)、伊藤博士の教え子、つまり私にとって研究室の諸先輩方からのお話を聞き、非常にアグレッシブで多大な研究業績を残されていたことは知っていた。本書は伊藤博士の研究者としての側面のみならず、思想、著作活動など様々な点から多くの人たちによって述べられている。先にも述べたが、本書は非常にボリュームがあり、読み応えがあるものである。

第一部から第三部までは伊藤博士が農技研→沖縄県農業試験場→名古屋大→沖縄大と異動し、場所ごとにどのような仕事をされたのか、そしてそれはどのようにして達成されたかが記述されている。著者は伊藤博士の近くで一緒に仕事をした方々なので、伊藤博士のキャラクターも生き生きと記述されている。また名古屋大の場合は当時指導を受けていた当時大学院生だった著者が書いたため、指導教員としての伊藤博士が描かれている。全体として印象に残ったのはとかくこの手の書籍は過剰に対象となる個人の美談で埋め尽くされがちだが、著者が研究者だけあって、伊藤博士の研究の内容に関しては極めて客観的な批判の記述も見受けられる点が面白い。また、本文を読んでいると伊藤博士本人のことのみならずその時代の科学者の考え方がよくわかる。現在の私のような若手の研究者にとっては、多くの英語の原著論文を世に出すことが研究者としてのもっとも重要なこと、というのは言うまでもない常識であるが(それが良いか悪いかは別として)、伊藤博士が活躍されていた時代の日本ではそうではなかったことがわかる。まずそれにおどろかされた。伊藤博士はそんな時代に英語の原著論文を書くことがもっとも大切な事だと思われており、それが伊藤博士を世界的な昆虫学者、生態学者たらしめていた。このような先進的な感覚で研究を進めることにより、伊藤博士は日本の昆虫学、生態学を世界レベルに引き上ることに貢献された。現在の研究の世界と少々異なる部分があるが、若手は研究する上での伊藤博士のメンタリティは知っておくとよいと思われる記述があるのでぜひ一読していただきたい。

第四部から第六部では、伊藤博士の研究内容や著作に関して記述されている。各時代に出版された伊藤博士の著作の内容を解説・考察しながら、伊藤博士のメインフィールドである、生態学や昆虫学の時代の移り変わりによるにパラダイムシフトに関して記述されている。また本書全体を読むとわかることだが、伊藤博士の代表著作である「比較生態学」がいかに多くの人に読まれ、影響を与えたかよくわかる。第四部は他の著作についても記述されているがやはり「比較生態学」についての紹介が多い。第五部は比較生態学そのものである。第六部はハチの研究者が伊藤博士のハチに関する研究について取り上げつつ、その研究成果に関する評価を行っている。さらに伊藤博士のフィールドワークについて、記述されている。以上のように、第四部から第六部は伊藤博士の研究内容が中心になっており、伊藤博士がいかにその学問分野に影響を与え発展させたかがわかる内容になっている。

最後の第七部はうってかわって、伊藤博士の思想の移り変わりについて、その時代の社会背景も含めて、考察・記述されている。私は思想について難しいことはわからないが、大学闘争があった時代の当時の若者がなぜそのような活動をして何を考えていたのかについても、記述されている。しかし私がもっとも印象に残ったのはやはり最後の綾子夫人の章である。本書を通して伊藤博士は強烈な個性の持ち主で、思ったことをストレートに話す人物であることはわかる。そのため、ご夫人はどんなかただろうと想像をしていたが想像通りであった(別の著者が伊藤博士が唯一頭が上がらなかった人と記述していたと納得できた)。

本書は伊藤博士を通して昭和の時代(特に研究の世界)がどのような時代であったかを知る貴重な書籍であると思われる。特に伊藤博士の研究に対する姿勢は若手にとっては大変勉強になる。シニアな方にとっても当時を振り返ることができたり、当時知りえなかった逸話などを知ることができる書籍になるのではなかろうか。いずれにせよ本書を通して伊藤嘉昭がいかに偉大な研究者であったかを知ることができるのは当然として、それに加えて伊藤博士が生きたそれぞれの時代の様々な社会背景や研究の世界を知ることができる一冊であるといえよう。最後に各部のタイトルを記して、紹介を終わる。

  • 第一部 農研時代
  • 第二部 沖縄県時代
  • 第三部 名古屋以降
  • 第四部 著作活動
  • 第五部 比較生態学とその周辺
  • 第六部 ハチ研究
  • 第七部 伊藤さんの思想

横井 翔 (農研機構・生物機能利用研究部門)