本書のタイトルから、私はパンセの一節を最初に連想した。人間は考える葦である、という有名な一節は、人を自然界で最も弱いものとして葦に喩えることで、人間の尊厳のすべてが思考の中にあることを鮮明に描き出している。本書は、本来持たないであろう「考える」、「感じる」という特徴を与えることで、花の何を描き出そうとしているのか。
本書は、2015年に出版されたスティーブン・バックマン著The Reason for Flowersの邦訳版である。原著は一冊だが、前半を「考える花」、後半を「感じる花」として2冊に分けて出版された。バックマン博士は、アリゾナ大で送粉生態学を専門とする研究者であり、随所に花と昆虫の物語が登場する。応動昆会員にとっては興味深い話題も多いはずだ。
著者は前編と後編を異なる視点で論じているが、タイトルでは花という同一の主体を形容しているところに、訳者の巧みさが光る。前編「考える」における主体は花である。花が子孫を残すために、いかに巧みに動物たちに花粉を運ばせているか。その洗練された戦略を描き出すのに、考えるという言葉は、まさにふさわしいだろう。ほんの一例を示すと、送粉の報酬としてシタバチに性フェロモンの材料を提供するラン。ハエを一晩、花の中に監禁して、花粉を纏わせるウマノスズクサ。そして、花咲く植物の世界の中で、人間が花粉媒介者としてあり続けてきた歴史を紹介する。
一方で、後編「感じる」では、花の味、彩り、香りを様々な営みに利用してきた人間が主体となっている。つまり、花を感じる人間の歴史、芸術、文化を描き出そうとしている。話題は、身の回りに溢れる香料、花をモチーフにした絵画、シェークスピア文学から、果ては日本の古今和歌集にいたる。花にまつわる逸話を網羅しようとする著者の試みが感じられる。
本書は、最新の行動、送粉、化学生態学的なトピックを紹介するだけでなく、世界各地の花とそれにまつわる文化を多岐にわたる資料から引用し、詩情にあふれる表現でレビューしている。読み進めていくと、嗅覚受容の分子振動論者(現在では、立体構造説が有力とされる)としての著者を垣間見ることもでき面白い。著者の研究者としての側面だけでなく、文化人としての深い教養を感じる一冊である。本書の内容とは直接の関係はないが、原著に対する書評陣がたいへん豪華であり、それも楽しめる。ぜひ2冊合わせての購読をおすすめしたい。