この本の著者は,1980年代~2000年代に天敵昆虫学や生物的防除の分野で活躍し,2008年ウルフ賞(農学分野)を受賞したアメリカの昆虫学者,W. Joe Lewis 1)である。天敵昆虫や生物的防除を研究した人ならなじみ深い名前だと思う。著者は,ScienceやNatureに発表した論文をはじめとして天敵昆虫学の分野で多くの業績を残しただけでなく,持続的農業システムの概念を提唱した 2)。また,地域コミュニティ活動を精力的に行い,ジョージア州ティフトン市の副市長にもなった異色の昆虫学者である。この本は80歳となった著者が自分の半生を振り返りながら,昆虫学者としてこれまでに解明してきた多くの作物,害虫,天敵の相互作用,持続的農業システムや持続的社会形成の構築のための概念を,自分の言葉で説明したものである。
1章から4章は,ミシシッピの田舎で小作の子として生まれた自分の家族とその生活,小さな田舎の農村の,みなが互いを知るコミュニティの中で貧しいながら家族や地域の人たちとふれあい,子供のときからラバを操り,ローテクの農作業を手伝いながら自然の中で生き物とふれあった様子,などがエピソードも交えて描かれている。5章では,急速なアメリカ近代化の波がミシシッピの田舎にも押し寄せ,家族は小作農を辞めざるえない状況を,6章では,ミシシッピ州立大学へと進み,ワタの害虫やその天敵の研究を行い24歳で博士号を取得する過程が描写されている。1980年代以降アメリカの天敵昆虫学研究の基礎を構築したSB Vinson,将来共同研究の重要なパートナーとなるJH Tumlinsonやその他の研究者とミシシッピ州立大学で出会っている。7章は,ジョージア州のティフトンにあるアメリカ農務省の研究施設に職を得て,本格的な研究を開始する内容となっている。チームによる共同研究により,多くの新たな現象(3者系:植物―食植性昆虫―寄生蜂,寄生蜂の学習など)を解明した経緯が書かれている。1980年代から2000年代にかけては,化学分析を担うTumlinsonとコンビを組み,ヨーロッパの天敵昆虫学や生物的防除研究のメッカといえるオランダのワーゲニンゲン大学のJC van LenterenやLouise EM Vetらのグループとも共同研究を展開した。1980年代後半から1990年代前半には,2000年代以降の天敵昆虫学をリードすることになるTed Turlings,Felix Wäckers,Consuelo De Moraesといった優秀な若手研究者が研究チームに加わった。9章では,持続的農業の実践の試みとそのシステムの基本的概念,10章以降では,研究者としての立場を超え社会の一員としての活動を通して,現在の地域コミュニティの問題点を指摘し,持続的な社会形成の概念を説明し,将来の持続的社会形成への提言を行っている。
持続的社会という理想からは程遠い社会の現状であるが,著者は現状を悲観することなく,自然が本来持つ持続可能性を学び利用すれば,持続的社会形成へと軌道修正可能であると確信し,将来に向けての希望をつづっている。この本では,著者がこれまでに関わってきた数多くの昆虫学者の名前がもれなく述べられており,著者の気遣いと一期一会を大切にしてきた気持ちが感じられた。また,彼のたぐいまれな生い立ちが,長期間かけてチームを組んで行ったさまざまな植物と昆虫の不思議の解明,持続的農業の概念の発展,持続的社会の構築といった多方面の活動を,常に前向きに忍耐強く継続させる素養やエネルギーを生みかつその原動力となっていることが分かった。小生は1990年から3年以上Joe Lewisの研究室に滞在し,彼の定年まで共同研究を行った。学会の講演でも時として持ち時間の半分以上を小話に費やしてしまうほど,とにかく話好きの人である。本の中で出てくる数々のエピソードを読んでいると,南部訛りの言葉で微笑みながら小話をする彼の様が目に浮かんだ。本著は昆虫学の専門書ではないが,著者の天敵昆虫学に関する研究の話が多く登場する。また,読みやすく書かれており,昆虫学を超えて持続的な農業や地域コミュニティの在り方を教えてくれる一冊である。将来の昆虫学や持続的農業の発展を担う学生諸君に一読を勧める。
- 1) W. Joe Lewis's research while affiliated with University of Georgia and other places. https://www.researchgate.net/scientific-contributions/W-Joe-Lewis-2120561237 (2022年5月30日確認)。
- 2) Lewis WJ et al. (1997) Proc. Nat. Acad. Sci. 94(23):12243-8.