イネの代表的な害虫であるトビイロウンカ,セジロウンカ,ヒメトビウンカ(以下ウンカと略)は,わが国の害虫防除,応用昆虫学の歴史上きわめて重要な位置にあります.ウンカ研究に関わる重要なキーワードとして,発生予察,長距離移動,個体群動態,天敵,翅型多型,殺虫剤抵抗性,病害ウイルス媒介,抵抗性水稲品種などが浮かびます.本書は,これらのキーワードのほぼすべてに関わる様々な研究課題に取りくんできた著者によって,とくに2000年代以降のウンカの発生動態の特徴と対策研究の最前線がわかりやすく解説されています.
1980年代後半から1990年代前半に上市された複数の殺虫剤により,わが国においてもウンカの効果的な防除が進みました.また海外からの飛来量も1990年代後半には激減したことから,東アジアのウンカ問題は終焉を迎えたかに思われました.ところが,2000年代に入ると,再び(とくにトビイロウンカの)被害が増加するとともに,これまで長距離移動が明らかでなかったヒメトビウンカの飛来とそれに引き続くイネ縞葉枯病の発生が報告されました.またこれらのウンカを調べると種によって異なる薬剤に抵抗性を発達させていることが明らかになってきました.いったい東アジアの稲作地帯で何が起こっているのか.著者らのグループは,殺虫剤感受性検定技術,長距離移動予測技術などを駆使して中国,韓国,台湾,ベトナムなどの研究者と連携しながら現地調査も行い,この問題に取り組みます.本書の前半では,この経緯やウンカ問題の現状が紹介されています.さらに本書の後半では,前半で明らかにされた現在のウンカの発生の特徴を踏まえた効果的な防除の考え方が述べられるとともに,今後の発生予察技術や新たな害虫管理の方向が示されています.
東アジアの稲作は豊富な雨をもたらすアジアモンスーンにあわせて北上します.イネ単食であるトビイロウンカ,セジロウンカも,それに連動するように長距離移動を行います.その終焉の地である日本に舞い降りるウンカ達は,各地の殺虫剤,品種,栽培時期など稲作の変化の記録をその小さな体に背負っているといえるでしょう.本書のタイトルは「防除ハンドブック」となっていますが,防除だけでなく小さな昆虫が大害虫となる所以を知ることができます.農家や防除指導に携わる方々はもちろん,応用昆虫学を志す学生の皆さんに読んでほしい一冊です.また同じ出版社から1994年に出された「ウンカ おもしろ生態とかしこい防ぎ方」(那波邦彦著)では20世紀までのウンカ問題と研究の歴史が紹介されており,本書とあわせて読むと農業活動と害虫化の関係がさらによく理解できるでしょう.