書評 ゴキブリ 生態・行動・進化

本書はWJ Bell, LM Roth, and CA Nalepaによる"Cockroaches:Ecology, Behavior, and Natural History"Johns Hopkins Univ. Press(2007)の翻訳であるが,初めの2著者,特にWJBの早逝により,3者が統一的なプランのもとに従って書かれたものではないようである.よって,タイトルに目指された視野のすべてに均質の心配りがされているようには見えず,推測するに,社会性の進化を研究する第3著者が,前2者の残したスケッチを整形した形でまとめられている.日本語版タイトルについては,原著の"Natural History"の部分がやや不十分である点を鑑みて,"進化"と変えたのは妥当な判断に違いない.

ゴキブリといえば,イカの巨大軸索の向こうを張った尾毛を使った電気生理学的な研究や,Nerve Growth Factorでノーベル賞に輝いたリータ・レーヴィ=モンタルチーニ(Rita Levi-Montalcini)の神経再生の研究,ジャネット・ハーカー(Janet E. Harker)や宇尾淳子による概日時計の研究,夫Ernstとともに神経分泌の概念をつくったベルタ・シャラー(Berta Scharrer)の研究,西田律夫や佐久間正幸ら石井象二郎門下の性フェロモンや集合フェロモンの化学生態学など,生理学,生化学的な分野で日本人も多く関わった重要な研究がなされているが,これらの分野に対する言及がほとんどないのがやや寂しい.第2著者のRothは生理的な側面についても多くの論文を残しているので残念である.それにもかかわらず,収録されている文献数は31頁1243編に上り,資料的価値は高い.かなりレアな論文も数多く収録されている.

個人的な感想になるが,本書の意義は,系統の新しい考え方の提唱,つまり伝統的には独立の目と考えられてきたカマキリ(Mantodea),ゴキブリ(Diploptera),シロアリ(Isoptera)を近縁系統ととらえ,肉食への派生でMantodeaが分離したが,キゴキブリとムカシシロアリの連続性と単系統性が明らかにされた点,およびゴキブリの亜社会性からシロアリの真社会性への跳躍が,共生微生物との関連性と異時性の観点から議論されている点ではないかと思う.適応方向が明確なシロアリへの分化はわかりやすいが,ゴキブリについてはニッチと生活様式の多様性から,一般的な性格付けが難しいと感じた.

日本ではあまりお目にかからない,グアノ,洞窟,フタバガキなどのカノピー,および砂漠におけるゴキブリの生活様式,そして彼らが果たしている様々な生態系サービスについても認識を新たにした.例えば,セルラーゼ分泌能と倒木等の処理,糞食や花粉食などの食性,Diploptera punctata(カブトムシゴキブリと訳されているが,英語のcommon nameはHawaiian wood roach,胎生のゴキブリだ)が代表するcockroach milkと呼ばれる分泌物(trophallaxisや後腸腺,腹面からの分泌を含む)の供与,卵鞘形成や土壌等の掘削や攪拌,そして微生物フロラの添加.さらには好蟻性を示す種や好白蟻性の種もいること.また蛍光発光をもつ種がいたりと,配偶様式も様々であり,単為生殖を行う種も普通に多い・・・といった多様性を有しているのである.多様性が大きいということは一般化が難しいということでもある.ゴキブリの一般的性格がわかりづらいのはそのせいもあるに違いない.

真社会性を発達させた膜翅目のように,haplodiploidyと巣の特殊化で議論が容易な対象と比して,一部キゴキブリからのシロアリへの特殊化へ分岐の道と,独立に親の庇護を発達させたその他の枝に拡がる多様化の道を,共に含んだ統一的な進化傾向の説得力ある説明はまだ得られていない.Diplopteraなどで同腹のbrood中の幼虫の孵化時期が違っていたり,その子の間に仕事の分化が見られることが,利他性につながる可能性があるということには触れられていたが・・・.

本書の構成は,LMRとハーバードで元同僚だったエドワード・ウィルソン(Edward O. Wilson)による紹介,まえがき,日本語版へのまえがきに続いて,本編:第1章 形態・色彩・大きさ,第2章 移動力――地上・水中・空中,第3章 生息場所,第4章 食物と採餌,第5章 微生物――目に見えない影響,第6章 配偶戦略,第7章 生殖,第8章 社会的行動,第9章 社会性ゴキブリとしてのシロアリ,第10章 生態学的影響,そして訳者あとがき,文献,付録,用語説明,索引と続く.付録以降の項目も有用だが,例えば「circadian rhythm」を「24時間のリズム」(正確には「約24時間のリズム」)とするなど,日本語訳として不正確な個所が散見されるなど気になるところも少しある.