書評 「全訳 家蜂蓄養記-古典に学ぶニホンミツバチ養蜂」 

2024/06/15(土)

基本情報
書誌名: 全訳 家蜂蓄養記-古典に学ぶニホンミツバチ養蜂
著者・編者: 久世 松菴 著/東 繁彦 訳注・解説
出版日: 2023年12月
出版社: 農村漁村文化協会
総ページ数: 280
ISBN: 978-45402-3144-5
定価: 4,180円(税込)

 ミツバチほど人類と深い関係を長い間持ってきた昆虫も少ないだろう.野生のミツバチからハチミツとミツロウを採取するハニーハンティングは,おそらく人類の歴史と同時に始まっただろうし,古代エジプトではすでにシステマティックな養蜂が行われていたと考えられている.現代の日本の養蜂は,明治期以降に導入されたセイヨウミツバチを用いて行われているが,それ以前にもニホンミツバチを利用した養蜂が存在した.江戸時代にはその技術はかなり高いレベルに達しており,複数の養蜂書も出版されている.そのなかでも家蜂蓄養記は,寛政3年(1791年)に本草家であり養蜂家だった久世松菴によって執筆された最古の養蜂書である.この古典は,インターネット上で公開されており,誰でも利用することができるが,多くの人にとって,それを読むことは簡単ではない.漢文で書かれているからだ.
 本書は,在野のミツバチ研究者である東繁彦氏による家蜂蓄養記の現代語訳と解説の書である.本書は緒論と3部構成の本論からなっている.緒論では家蜂蓄養記とその著者である久世松菴の紹介,および家蜂蓄養記が執筆された背景などが解説される.第一部は,表題どおり家蜂蓄養記の現代語訳と解説であるが,これは本書の半分でしかない.第二部では,多数の古文献の情報をもとに,江戸時代の養蜂の状況,ニホンミツバチ養蜂技術の起源やニホンミツバチそのものの起源について,東氏が持論を展開する.第三部は,漢文で書かれた家蜂蓄養記の原文とその書き下ろし文,語釈(語の説明)となっている. 
 第一部の家蜂蓄養記の現代語訳は,たいへん読みやすく,内容を理解することになんの困難も感じさせない.読んでみて感じたのは,この当時にはすでにニホンミツバチの生態が思っていた以上に理解されていたということだ.扱われるトピックも現在の養蜂書と共通するものが多い.具体的には,蜂群には(女)王がいるということ,女王が育つ王台について,巣箱の作り方,巣箱の設置の仕方,巣仲間認識とコロニー防衛,分蜂,オス,害虫(巣板を食害するツヅリガの幼虫),採蜜について,などである.現在ではよく知られた対オオスズメバチ防衛行動である熱蜂球形成と思われる行動の記述もある.オオスズメバチ襲来時のニホンミツバチの門番の反応についての記述も秀逸である.門番はオオスズメバチが飛来すると「恐れ怯え狼狽し,巣箱の中へ隠れる」(書き下ろし文では「恐懼戦慄し,狼狽蔵陰す」)という.現在の学術論文中では決して使われない擬人的な表現であるが,この状況を観察したことがある人であれば,まさにこの通りだと感じるのではないだろうか.もちろん,現在では常識となっている点が当時は理解されていないということはある.たとえば,オス蜂は黒蜂とよばれ,コロニー維持の役に立たないことはわかっていたが,オスであるとは認識されていなかった.しかし,繁殖期に現れ,黒蜂が出てくると続いて新女王の生産が起こることに気づいており,事実までもう一歩の地点まで到達していたようだ.当時の飼育法は,巣箱の中にミツバチに自由に巣を作らせる方式なので,可動式巣枠を使う近代養蜂と異なり,巣板を持ち上げて巣の中を見ることができない.せいぜい,巣箱の外壁を外して,コロニーの最外面を見るくらいが関の山だったはずである.そのような状況で,ここまで理解が進んでいたことには驚きを感じる.
 もう一点,興味深かったのは,家蜂蓄養記では蜂の管理をする時には腕まくりをするように指示していることである.東氏の解説によると,江戸時代には蜂に刺されないために上半身裸になる事も普通に行われていたという.これは一見逆説的なようだが,服の中に蜂が入ってきてしまうと,蜂がパニックを起こして刺すことがよくある.そのことを防ぐためには服はむしろない方がいいということのようだ.開口部の多い和服での管理ということと,ニホンミツバチの温和な性質を考えると,なるほどと感心する.
 第二部では,東氏によるニホンミツバチ養蜂史の再検討が行われる.多数の古文献をもとに,複数のトピックについて考察が行われるが,そのなかでも特に力を入れて議論されるのが,ニホンミツバチの起源についてである.本書でも述べられているように,おそらく研究者の一般的な認識は,トウヨウミツバチの一亜種であるニホンミツバチは,大陸のトウヨウミツバチが有史以前に日本列島へ侵入・定着し,その後の隔離を経て亜種となった,というものであろう.しかし,東氏は古文献の分析により,日本には比較的最近までニホンミツバチは分布しておらず,豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮半島から持ち帰られた少数の群が,その起源であるという人為導入説を提唱している.ニホンミツバチの分子系統学的研究についても触れ,その結果も人為導入説に合致していると述べている.
 わたしは生物地理学については不勉強で,この問題について言及できるような知識は持ち合わせていない.東氏の主張について知りたい方は,ぜひ本書を読んでその妥当性を自分で判断してほしい.この書評の読者は,生物学・農学の研究者であろうから,本書にあるような古文献から過去の生物の分布を考えるというアプローチには馴染みがないはずだ.しかし,だからこそ本書が新しいアイディアを提供してくれる可能性があるのではないかと思う.

原野 健一(玉川大学ミツバチ科学研究センター)