書評 「なぜオスとメスは違うのか:性淘汰の科学」

2024/01/12(金)

基本情報
書誌名:なぜオスとメスは違うのか:性淘汰の科学
著者・編者:マーリーン・ズック,リー・W・シモンズ 著,沼田英治 監訳,遠藤淳 訳
出版日:2023年10月31日
出版社:大修館書店
総ページ数:192 ISBN:978-4-469-26971-0
定価:1,980円(税込)

「もっとも基礎的なことがもっとも応用的である」 この名言の初出は,伊藤嘉昭さんと桐谷圭治さんが1971年に出版した「動物の数は何で決まるか」(NHKブックス)だと記憶している(違っていたら御免なさい).この名言と本書の関係については最後に述べるとして,本書「なぜオスとメスは違うのか:性淘汰の科学」は,メスとオス,つまり有性生殖をする動物たちがこの世に誕生して以来,くりひろげてきた性淘汰(性選択と訳されることが多い)から性的対立にいたるメスとオスの共進化について,一般向けにわかりやすく書かれた本である.

著者はマーリーン・ズックと,リー・シモンズだ.ズックはアメリカの進化生物学者で,かのWDハミルトンとともにgood genes 仮説を提唱し,とくにパラサイトが性淘汰にどんな影響を及ぼすかを調べた研究で著名である.一方,西オーストラリア大学教授であるシモンズは,リバプール大学でポスドクとしてゲオフ・パーカー教授に師事した.本書にも出てくるパーカー教授は,精子競争と性的対立の概念をこの世に提唱した科学者で性淘汰を研究する多くの弟子を輩出した.本書の著者シモンズもまた,西オーストラリアで昆虫の性淘汰の研究を自らけん引し,現在,世界のフロントで活躍する多くの研究者も育てている.

この分野をリードするズックとシモンズが,性淘汰,精子間競争,そして性的対立について昆虫を含むさまざまな動物を引き合いに出して解説する本書は,この分野の学問の歴史をコンパクトな一冊で概観できるコスパに優れた優良書だ.日本語訳を読めるのは嬉しい限りである.本書にはトコジラミ,ダニ,カスミカメ,ゲンゴロウ,キリギリス,オドリバエ,トンボ,アメンボ,シリアゲムシなどの昆虫や節足動物もよく登場するので,虫好きにはたまらない一冊でもある.そして私たちヒトの男女の性をめぐる研究も多く紹介されている.

本書の構成は,ダーウィンが世に問うた性淘汰の考え方にはじまり,配偶システム,感覚バイアス,セクシーサン,配偶者選択,性の役割の逆転へと続く.後半は20世紀後半から目覚ましく発展してきた精子間競争,性的対立,生物の多様性に性が及ぼす影響の話へと物語は展開していく.進化の過程において,選り好みによって雌雄の姿形が変わるのか? メスとオスの対立によって変わるのか? それとも両方がかかわっているのか? メスとオスのテーマは興味が尽きないが,多様な生物の数だけその仕組みもまた色々というのが正解なのだろう.ダーウィンが性淘汰を世に問うて150年以上を経た今も,性をめぐる科学には実に多くの研究されていないニッチがあると謳われていることに僕らはとても勇気づけられる.

本書に出てくる研究事例について個別の引用文献は掲載されていない.これは原著"Sexual Selection: A Very Short Introduction"においても同様で,個々の文献は付いていないが,翻訳書の最後に「さらに学習したい読者のための参考文献」が書かれているので,詳しく知りたい方にはそこから原著にたどりつけると思う.現代昆虫学において,もはや常識となりつつある性的対立と性淘汰の仕組みについて,知識として仕入れておくためには最適な本と言える.

応用研究との関わりについて最後に述べておこう.本学会員の多くは害獣虫の防除や駆除に対峙するとき,じつは様々な場面でメスとオスの存在の違いにかかわっているはずだ.たとえば危険の多いスズメバチ類や伝染病を媒介する蚊も被害を及ぼすのはメスである.環境にやさしいフェロモンによる害虫防除や不妊虫放飼法は,雌雄間のコミュニケーションと交尾を利用して防除する.その際に性淘汰の考え方の理解が防除の助けになる.イノシシではメスに比べてオスが大きいことも性淘汰で説明できるだろう.雌雄の違いが進化の過程でどのようなメカニズムで生まれてきたのかを理解しておくことは,昆虫の応用研究を進めるうえでとても大切なことだと考える.「もっとも基礎的なことがもっとも応用的である」を改めて納得できる,お勧めの一冊である.

宮竹 貴久(岡山大学農学部)